早いもので気づいたらもうすぐ2022年に差し掛かろうとしています。
2021年はフルコロナイヤーで旅行に行くこともなく、大きなイベントもキャンセルになったりして家と会社を往復するような、いや家にいることの多い1年でした。
逆に今まであまり縁のなかった新しい趣味(ゲームや配信)も見つかりました。
なかなか伸びなくて苦労はしているのですが・・・
このコロナの2年間はあっという間で何かを成長した感じもしないですが、33になって一つの目標を成し遂げることができました。
サラリーマンとしての最初の大台目標年収1千万円、一本なりー!!
新卒の時から丁稚奉公を続けてお金ではなく経験に重きを置いて、つかない残業代に嘆くこともなく働き続けてきました。
金にもならない先輩や上司との飲み会に付き合い日をまたいでも若手パワーを発揮して楽しんでいるふりをしながら場を盛り上げていました。
朝の五時まで飲んで近所の銭湯に入ってそのまま出社することもありました。
それでも耐え忍んでいたのは同期と仲が良かったのと会社が好きだったからです。
このまま順調にこの会社でキャリアを積んでいこうと考えていたのですが、パワハラ上司が同じ部署となり最後は今考えるとあっけなく会社を去ることにしました。
幸か不幸かそれが自分の年収をアップするきっかけとなりました。
もともといた会社はそれなりに待遇や福利厚生もよかったのですが、いわゆる年功序列で終身雇用の日本企業で1本にたどり着くのはおおよそ40歳くらいで役職がついてからです。
そこにほぼ例外はなく、形だけの職能給はありますが、実際ほとんどどこの日本企業も機能していない状況です。
その分新人の教育には力を入れており、先輩方の叱咤激励により社会の基本を学び社会に出ても周りと齟齬が出ないようにいい意味でしっかり矯正されるのは断然日本企業です。
あんぽんたんな学生はまずは日本企業でしっかり学ぶことをお勧めします。
一方で大抵の外資系企業はポジション採用なのでそのポジションのプロフェッショナルを採用するため、何も能力のない新卒は特に必要ありません。
たまにスーパー学生で即戦力となる人もいますが、まあそういう人たちは例外で住む世界が違う人たちです。
新卒で日本企業でしっかり勉強したのちに5~10年で外資系企業に転職するのは年収をアップするうえで効果的な方法と言えるでしょう。
自分も日系→外資→外資と渡り歩いていますが、年収は100万弱ずつ上乗せしてもらいました。
外資はポジションにさえマッチして、うまく現状の年収を高めに提案するなどすれば、その基準に基本的に上乗せしてくれるので年収UPを見込める可能性が高いです。
日本企業はポジションにあまり関係なく、年齢により横並びで給料が伸びていくため、以前の年収はあくまで参考値でありその会社にある給料システムのみが反映されます。
大学の就活
大学に在学中は自分の時代は早い人は「就職活動」という文字に2年生の頃から敏感になり始めます。
いついつから就職活動を開始しなさいという経団連の指針はあったものの強制ではないため企業も優秀な人をいち早くゲットするために4年生ではなく3年生に向けた企業説明会を開始していました。
早く動けば動くほど内定をもらえる可能性は高まるので、とりあえずエントリーシートに登録したり、2年生からセミナーに参加するなど積極的に動いて周りを不必要に焦らせている人もいました。
右も左もわからないまま最初にどきどきしながら就職サイトに登録したりして満足していました。
何かよくわからないベンチャー企業がまだ何も知らない学生を早めに縛るためにかっこよくみえるセミナーを開催していました。
大企業狙いだった僕はとりあえず滑り止め的にセミナーに参加だけしてやろうと思っていましたが、初めての説明会で社会人にすこし近づけた気がしたのとなんとなくその会社が大きいことをしていそうな感じがして見事に騙されて面接に進んでいくことになりました。
コンプレックスを狙って怪しい薬を海外から輸入してネットで販売している会社ですが、見事最終面接まで進み社長と会食をして内定が出ました。
1週間以内に入社するかどうかを決めてほしいといわれてなんか内定もらったテンションでおかしくなっていたのか本当に少し迷ってしまいました。
親にまで相談しましたが、親は自分の道は自分で決めなさいと。(いや、ベンチャーの時点で止めろよ!)
最後は会長直々に電話とメールを頂いたのですが、「ナポレオン・ヒルは人生で最大の決断を29秒でしたといわれています。」と言われてなんか引いて辞退しました。
その後も順調に就職活動を続けていくのですが、3年生の3月くらいにここなら行っても面白そうかなと思う中小企業から1つ内定をもらってので少し安心しました。
そこからは大企業の割合を増やし、有名どころを片っ端から受けていきました。
周りの人と比較してエントリーシートを送った数と面接を受けた数はかなり秀でていたほうだったと思うし、数うちゃ当たる作戦は功を奏したと思います。
単位もとっていたので学校にもほとんど行かなくなってきたし、就職活動に集中するためにバイトも入っていませんでした。
就職活動中にバイトするやつは日本における就活の重要性を全く理解してない頭の悪い人だと思っていました。
数を打ってるとエントリーシートに書く内容も使いまわしできるし、面接慣れもしてくるので単純に1企業に応募したら1つの弾が増えるというよりは(1+1)に経験値として都度1.1掛け算されるような感覚でした。
4月には内定が2~3個に増えており、大手の面接で進んでいるものも4~5件まで増えてたので少し余裕が出てきていました。
最終面接まで行ったのにエラそうな質問をされて、むかついたので偉そうに返す余裕もでてきました。(もちろん後で後悔しましたが・・・)
そして最終的にはそこそこ自慢できるような1社から内定をもらったので就職活動をそこで終わることにしました。
学生の能力の良しあしももちろん重要ですが、それ以上に会社との相性(面接者との相性)は絶対的にあってかなりうまくできたと思った面接で落ちたり、ダメだと思った面接が次に進めたりしました。
自分のような文系の営業を志望している人の面接は別に勉強の頭の良さをアピールする場ではなく、場を読む力や応答力、お客さんに可愛がられる要素があるかなどを確認する場でもあります。
なので複数面談で自己紹介の時に隣の人の学歴がえげつなくてもビビる必要はないです。(僕は怖気づいていました。)
後は本当にその会社に入りたい気持ちがあれば、事前にしっかり会社のことも調べると思うし調べれば自然と質問が出てくると思います。
何かを事前に調べて記憶してその会話をするというのは社会人になっても要求される能力なのでそれを面接で確認されているといえるかもしれません。
晴れて4月に就職活動を終えた学生は卒業論文に力を少し注ぎながら、人生最後の1年のモラトリアムを全力で楽しみます。
彼女と遊びまくったり旅行に行ったり本を読んだり朝遅くまで寝たりやりたい放題でしたが、入社後すぐにTOEICを受けないということを聞いてそこから少し英語の勉強も始めました。
1社目
会社で首にならないようにうまくやれるかな?上司に叱咤激励されるのか?友達出来るかな?などいろいろな思いを持って入社しましたが一か月も経過すると慣れました。
幸運なことに人も良かったし、研修もあったので同期ともすぐに仲良くなれました。
最初は上司や先輩についていきながら段々と社会人としての動きを学んでいきました。
社内での仕事の回し方や顧客へ訪問した際の会話力、専門知識を吸収して1年くらいすると一通り仕事を覚えることができます。
最初は同期の誰かが一人で顧客訪問しだすと焦ったり、商材の専門知識をすでに大学で学んできた同期と自分を比較して引け目を感じたりしていましたが、この長い人生を思うとしょうもない悩みですね。
自分の部署は労働時間も(最初は)そんなに長くなく、大体みな6~8時ごろには帰宅していて早いと5時過ぎに帰れる時もありました。
仕事も自分の興味のある分野で将来やりたいことと目標もあったのですごく充実していました。
3年目にもなると上司に相談することも少なくなってきて、今度は自分で工夫して「仕事を創っていく」ことを考えだします。
そしてそれが4~5年目で形となっていき忙しさは増していくのですが、自分の責任の範囲で自分がやりたいことをしているので嫌な思いはありませんでした。
まだどうせペーペーだし、最後の責任は上司がとってくれるだろうと楽観的に考えて、何とか形になるようにだけ考えてリスクを気にせず積極的に進めていきました。
さらに幸運なことに自分が担当している顧客が毎年右肩上がりで成長していたので、周りからも信頼されるようになりそれがさらに仕事を楽しくさせました。
業績がいいと予算が付きやすいので出張や会食の申請がばんばん通ります。
ここで調子に乗って自分はできるやつだと勘違いしていたのか、より給料が高い企業に転職しようと活動しだしますが、それとこれとは話が別でなかなか新しいところにいくのは難しいですね。
業界や職種も変えて新しいことにチャレンジしようとしたのですが、無謀でした。
そして6年目になって、では会社内で違うことがしたいなと思い、国内は飽きていたので海外出張の多い部署に異動を希望してそれも見事に通りました。
ある程度実績を上げているとこのような希望も通りやすいと思います。
都市がダイナミックに変化しているAPACにビジネス出張するのはとても刺激的で新鮮な経験でした。
もちろん遊んでいる暇はないのですが、その国の食事や人との交流、文化の違いを楽しんでいました。
ここまで順風満帆なサラリーマン生活だったのですが、風向きが急に変わったのはその1年後くらいです。
会社で有名なパワハラ野郎が自分の上司となりました・・・
彼は口は悪いし人前で怒鳴るしマイクロマネジメントだし部下に長時間残業をさせるのを美としているとんでもない人でした。
仕事に対するモチベーションががくっとさがり、彼のために働いている自分にストレスを感じていたのと仕事以外の生活も何もかもが楽しくなくなりました。
ご飯を食べても美味しくないし、子どもと遊ぶ時間もなくなるし、人生がいきなり灰色になりました。
1か月の残業が100時間を超えたときはさすがに大変でした。
しかも本来であれば残業を抑えるはず三六協定とかいうわけわからん制度のせいで、それ以上に残業をしても年間360時間に申請を抑えないといけないことになりました。
360時間残業代付けたら年収は700万円超えるくらいでした。
上司に時間が足りない旨を説明しても、仕事の効率が悪いの一点張りでした。
体育会系の僕はここを乗り切ればさらなる成長につながると思い何とか耐え抜こうとしばらく頑張っていましたが、仕事人生において重要なこの30歳周辺を何て無駄に過ごしているんだと馬鹿らしくなり転職活動を始めました。
転職活動はすでに経験済みなので立ち回り方はわかっていました。
一番重要なのは転職サイトでいい求人を見つけたらその会社のサイトで直接応募していないかを確かめて、あれば直接応募するほうがいいです。
エージェントをかます理由など全くないですからね。
情報が得られるとしてもネットに出ているようなものしか手に入らないし、有利になるどころか自分より他に優秀な応募者がいればそちらの人をプッシュされるでしょう。
しかも直接応募のほうがエージェントに勧められて受けたというより、本当にその企業に行きたいという熱意が相手に伝わりやすいと思います。
そんな手法を取りながらいくつかの企業面接を受けていましたが、やはり困るのはなぜ辞めるのかという質問。
パワハラですというのは簡単なのですが、そんなの言ってもあまりいい印象はないので毎回自分の応募した会社や職種に合わせてうまく理由を考えていました。
転職活動が少しずつうまくいくと現状からの逃げ道を確保できたような安心感があり、仕事は苦しかったですが、少しずつ楽になってきました。
最終的には「行きたい!」というよりは「ここなら行ってもいいかな」くらいのところに内定をもらえたのでそこに入社することにしました。
業種はそれほど興味はなかったのですが、そこそこ知名度のある外資系企業で年収もあげてくれるとのことでチャレンジしてみることにしました。
提示された金額も最後残業代が360時間分のった年収がベースなので少し上げてもらって800万円ほどになりました。
2社目
初めての転職では初日不安と希望に満ちていました。
これから新しい会社で出世してやるぞという意気込みと本当に以前の会社を転職してしまったなという実感がその時わいてきました。
営業はそのままなのですが、扱う商材と顧客が全く異なるので最初はすごく新鮮というか戸惑いが多かったです。
でも諸先輩方や上司が優しく手ほどきしてくれたのですぐに慣れることができました。
また、人間関係で悩むことはなさそうだと感じました。
ここで外資系の良さに一つ気づいたのですが、セクハラやパワハラ、その他の収賄などにめちゃくちゃ厳しいことです。
それらに関する研修を入社初日から受けされられるのですが、その量が多いこと。
また、実際にセクハラやパワハラが発覚すると、自分がいた前の会社のように見て見ぬふりではなく当事者は本当に首になります。
もちろん企業にもよると思いますが、ここら辺は友人の話を聞いてもその次の企業を見ても外資系企業のほうが進んでいるように思いました。
仕事における悩みがなかったわけではないですが、以前の環境と比べるとだいぶましでした。
また帰る時間も早く子どもたちとの時間も増えて人生を取り戻したような気がしました。
ただ、今度は自分のキャリアを考えたと時に自分が成長したいと思える方向にベクトルが向いておらず、長居はあまりすることができないかなと思いました。
30歳前後で悩む人も多いかもしれませんが、一体全体自分は本当は何がしたいんだと深く思い悩むようになりました。
仕事内容がドメドメであまり面白くなかったのかもしれません。
また、やはり周りの人はこの業界で何年も働ており、自分はこの年齢で一から知識と経験を積んでいくことが億劫に感じたのも正直あります。
転職をしてまたすぐに転職するのは履歴書によく傷がつくというので正直抵抗がありました。
ただ、自分は石の上にも3年粘ってしたくない仕事をさらに耐え忍んで無駄に過ごすことのほうが抵抗がありました。
今の環境は悪くはないしいい求人があったらのんびり応募しようかなというのりで転職活動を開始することにしました。
お正月休みというのは結構頭を整理するのにいい期間で求人なんかもチェックしていたらめちゃくちゃ興味深いのが出てすぐに応募しました。
自分のやりたいことを凝縮したような求人だったのでずっと目が離せなかったのと動向が気になっていました。
この直観というのがやはり重要でジョブディスクリプション見たときにワクワクするかどうかによって入社した時の自分がどうなるかある程度予想できますね。
といっても求人というのは水物なのでいいと思った求人に受からなくても、またいい求人が出てくるものです。
幸運なことにその求人とやはり相性がよかったのか最終的にはそのポジションを獲得することができました。
さらに現状の年収から100万円ちょっとくらいのせてくれたのと引越ししないといけないと言ったらサインオンボーナスもくれたので、さらにテンションが上がりました。
3社目
3社目の転職はだいぶ慣れてきて初日にオフィスに行く際ももはやあまり緊張していない状況でした。
自分のやりたい仕事に戻ってこれたのでとてもわくわくしていました。
また、本社が日本になく自分のレポートToが海外なのである意味気楽に毎日過ごせるのがとても楽です。
コロナの影響もあって決まった出社時間に会社にいる必要はなく、朝の時間を少しルーズにできるというのがこれほどQOLを上げるとは思いませんでした。
前回と前々回の会社も同じようにコロナで改善されていると思いますが・・・
とはいっても人を覚えたり会社の新しいシステムを新たに覚えるのはある程度時間を要するものです。
転職の最初は慣れていない分逆にアドレナリンがでまくるもので、皆に追いつくために平気で終業後も何時間もパソコンの前にいました。
人間関係で悩むという一番無駄な時間を過ごすこともなかったので業務に集中することができました。
もちろん外資なので手取り足取りということは全くないですが、自分が積極的にコミュニケーションをとれば各プロフェッショナルから的確な答えとアドバイスをもらえます。
やらされているわけではないので、夜の12時を過ぎるのも土日パソコンを開くのもそれほど苦ではありませんでした。
本当に気づいたら3か月が経過していたという感じで半年経過したときにはどっと疲れが襲ってきたのを覚えています。
業務を一通り覚えると効率的になり時間の短縮も可能になるので少しずついいサボり方というか力の抜き方を覚えてきました。
忙しくもやりがいのある仕事というのは1年が経過するのがとても早く気が付いたら2年が経過していました。
そして毎年の昇給もあり3年目になって、会社業績とチームの業績がよかったのもありよいボーナスがでて1,000万円を達成することができました。
結果的には最初の企業にずっととどまっていたらこんなに早く1本を達成することができなかったのである意味ラッキーでした。
しかも自分の場合は目標を追っていたというより外部要因でしかたなくキャリアを変更したので、パワハラ上司にはむかついていますが、結果的に感謝しかありませんとでもいうと思ったか!タコ!今でも恨んでいます笑
好きな業務と仲間がいたのでその事件がなかったら最初の企業でおそらく働き続けていたと思います。
人生いろいろなことがありその都度軌道修正が必要なこともありますが、今のところ大きくレールからは外れずに過ごしています。
レールから大胆に外れるリスクをとることができる人だけがもっと大きなチャンスをつかめるんでしょうが自分にはその勇気がありません・・・
また外部要因でリストラされたらわかりませんが!