朝ご飯をちょっと少なめにしたある日、仕事が忙しく昼ご飯が遅くなってしまった。
脳みそをフルに使ってお腹ペコりんだったのもあり、いつも頼む焼きそばを注文した後に無意識に「大盛で!」と発してしまっていた。
いつもは通常の量を注文して普通に満足してるはずなのに、なぜか血迷ったことを言ってしまったのである。
大盛といっても700円の焼きそばに100円追加するだけなので、言っても1.3倍かせいぜい1.5倍くらいだろうと勝手に予想していた。
ちなみにその店で大盛を注文したのは初めてだった。
そして届いたのが山盛りの麺であった!2倍は確実にあるので2つ同じものを注文したようなものである。
いつも満足して食事を終えた後にデザートでもう一品焼きそばを出されることを想像してほしい。
食べても食べても減らない焼きそばに絶望を感じながらも地道に箸を動かすしかなかった。
いつも感じる満足度は全くなく、ただただ不快さと一緒に店を後にした。
今後も「大盛」を注文してしまうという失態を犯さないように自分への戒めと被害者を少しでも減らすために「大盛」がいかに我々の人生を破滅に向かわせるということをいかに記録しておきたい。
1 .食事の満足度が下がる
よくよく思い出したらいつも普通の量の食事を注文して満足しなかったことなんてあまりないと思う。
その出された通常の量はそもそも大衆が満足するようなど真ん中の量を店側が見極めて出しているのであって、それ以上食べることは異常なのである。
大盛で!は私は異常ですと高々に宣言しているのと同じなのである。
これは美味しいというものにあたったとしても、その「もう少し食べたい」が最高の満足度であることに気づかなくてはならない。
あと一口でも食べようものならその心地よさが峠を越えて下がりだすのである。
2. パフォーマンスの低下という副作用
一般人とは異なる異常な量を食したあなたに襲い掛かるのはその後の激しいパフォーマンスの低下である。
誰もが経験したであろう、昼ご飯をお腹いっぱい食べた後の眠くて仕事が手につかない午後。
ランチ後の帰り道、身体がものすごく重くて歩くのもしんどかった。
オフィスについても胃をフルフルに稼働させることにより昨日8時間しっかり寝てコンディションを整えた身体をけだるく、頭を鈍くさせるなんてばかばかしい。
目の前の仕事に戦う脳のリソースを眠気という余計な課題に割かなくてはならない。
さらに仕事の途中で消化が進み追加でう○この時間もとられてしまう。
大盛での一言であなたの午後は効率の悪い消化試合と化してしまうのである。
3. 習慣化の恐ろしさ
何気なく「大盛で」と発してしまったその軽い気持ちが習慣化してしまう恐れがある。
自分の満足度の頂点と身体のパフォーマンスを客観的に観察する能力のない人は、そのお金と量というコストパフォーマンスだけを盲目的に追及するようになり、いつかはそれが習慣化してしまうのである。
習慣化するとその大盛の量がスタンダードになりさらにその上の特盛がその人にとっての大盛となってしまう悪循環に陥ってしまう。
そう、デブエットが始まっているのである。
最初の何気ない一言から。
さらには異常な量の消費して太るために食事の時間も追加で必要になってしまう。
あまり太っていると健康的にも見た目的にもよくはないことは誰もが理解しているのになぜ時間とお金をかけて増量する必要があろうか?
4. タダより高いものはない、経済的損失
大盛は一見少しのお金で追加でいっぱい食べれる。
でも、言及したように満足度は峠を越え、パフォーマンスは下がり、太っていくだけなのである。
デブるとまずは服のサイズが変わりそれにもお金かかる。
通常の食事量で満足できないため食費にさらにお金がかかる。
急に恋をして急いでダイエットしようとジムお金かかるし、そもそも安易に手軽に目の前の欲求を満たすことを考えるような人が痩せれるわけもなくジムと大盛の無限往復旅行でさらにお金を使うことになる。
大盛り無料なんていうのにも釣られてはいけない。
後でお金ばかり使うことになって得していないのだ。
5. 環境破壊
このような負の連鎖は自分事だけにとどまることはなくさらに環境にまで影響を与えてしまう。
太ってジムで筋トレしてまた太るとどうしても食事の際に手に力が入って割り箸が折れてしまい、その割りばしの消費量の増加が森林伐採へとつながってしまう。
また、炭水化物ばかりを消費して代謝が良くなり汗をかくとエアコンの温度を上げなくてはならず、CO2の排出量が増加し地球温暖化にも影響を与える。
大盛りが1.3~1.5倍と予想したところ2倍きたら、屈強な精神の持ち主以外は残してしまうことになるかもしれないので、ゴミ問題にもなってしまう。
このように短絡的なコストパフォーマンスだけにつられて「大盛で!」と言ってしまうと自分の人生を破滅に向かわせるだけでなく、環境への悪影響にもつながってしまう。
そもそも環境への思いやりがない人は、自分のことしか考えておらず自分の大切な人を想像する力も欠如しており人を思いやる気持ちがないと言うことで往々にして嫌われている存在である。
そのような社会悪と犠牲者を一人でも減らすべく、最初の「大盛で」はダメ!絶対!なのである。
1回だけならという軽い気持ちで決して大盛にしてはならない。
「大盛で!」は人生を破綻へと導く際最初の一歩なのである・・・